私の経緯
愛媛大学医学部の第一期生として、1979年卒業して以来30数年余り、これまで一貫して公衆衛生マインドを大切に保健医療福祉各分野及び地域づくりに取り組んでまいりました。在学時代の地域保健サークル活動を通じて、地域の健康づくりの分野に関心を持ち、公衆衛生学(木村教授・高橋助教授)を志しました。そのため卒後愛媛大学の2内科(国府教授)で循環器の臨床を学んだ後公衆衛生に戻り、主に循環器の疫学研究に着手しました。そこで地域脳卒中登録事業に関わることになり、それを全国に普及させることを目的に、卒後4年目に宇和島保健所に着任し、地域に根付いた脳卒中等の疫学研究に取り組みながら、健康づくり活動や保健行政を学びました。その後大学に戻るはずが、30才の若輩でありましたが愛媛県御荘保健所長に(全国で最年少所長)任命され、伊予保健所長、愛媛県庁等それ以後約20年間にわたって、行政の分野に身を置くことになりました。
この間、現場の活動が評価され、全国保健所長会の若手メンバー代表に選出しいていただき、保健所あり方委員会や地域保健法の制定にも関与させていただきました。また厚生省委託研究の委員として、地方分権や成人・母子保健その他健康関連の他分野の研究に取組む機会をいただきました。この時期の実体験を通して地域連携やマネジメントを学ぶことができました。この頃発足させた精神障害者の支援団体「心の健康を進める会・考える会」は、全国の精神保健福祉モデルとして評価され、後継者の皆さんがさらに発展させ、現在も全国で高い評価を受けながら活発な活動を続けています。これら保健所長時代の活動が評価されて、草野先生(当時全国保健所長会副会長)のご推薦を頂き、平成4年10月に「日本公衆衛生学会奨励賞」を行政職員として全国第一号をいただいたことは、その後の大きな励みとなりました。
平成3年からは愛媛県庁の保健指導課長(現健康増進課長)として約10年間、保健及び医療福祉行政全般にわたって実態を把握し、行政や保健医療福祉関連機関との連携に努め、行政としてのマネジメントを学びました。また県と厚生省のパイプ役として、国策の企画運営にも関与させていただき、特に「健やか親子21」の策定や、保健分野の人材養成に国の講師として参画することができました。
新たなチャレンジを求めて2001年に思い切って県を退職し(2月に思いついて3月末で退職 突然すぎて皆さんにご迷惑をおかけしました)、愛媛県総合保健協会に着任してからは、保健行政約20年間の経験を活かして全国行脚の自分探し、1年間で全国47都道府県約100カ所からの依頼を受けて精力的に講演して回りました。中央施策主導による限界と、地域の保健・医療・福祉の連携による健康づくり・地域づくりの重要性を認識し、特に医療の立場からの積極的な参画の必要を痛感した。この経験は、ヘルスプロモーションについての学習を深め、あわせて人材育成の教育手法の開発につながった成果は大きかったと思います。
2002年8月、本大学病院の医療福祉支援センターの副センター長として迎えていただき、このようなモチベーションを背景に、今度は医療の場からの公衆衛生活動を開始しました。20年ぶりの大学病院は、「医療の進歩」と「退院できない患者」という二面性が見られ、「治す医療」と「生活に戻す医療」の両輪の必要性が顕著化していました。当センターの10周年誌にも記載しましたが、多くの院内外の方々にご理解ご支援いただき、時代の流れも後押しして、特に生活に戻すための医療を強化するために、2013年の総合診療サポートセンター(TMSC)設立に至ることができました。TMSCが本格稼働して2年余りまだ発展途上ですが、入院前から多職種連携・チーム医療及び地域連携のプラットホームとして活用され、その人らしい生活に速やかに戻し生活を途切れさせないことを目途とした急性期医療の役割を徐々に実践してきていると思います。その一端として総合調整・退院調整・口腔ケア他各種加算や各種カンファレンス開催が飛躍的に伸びてきています。全国からの視察見学や講演や執筆依頼も激増しており、ありがたいことではありますが、スタッフはその対応に奮闘しています。TMSCの取り組みは、地域包括ケア時代の急性期病院のあり方を示す全国のモデルとして期待されており、さらに当部門の機能強化や地域・住民の理解促進を図るとともに、特に研究分野の充実など期待されるとことです。なお、2013年に医療福祉支援センターを発展的廃止によりTMSCを立ち上げることを祈念して、著書「生活を分断しない医療」(ライフ出版)を出版しましたが、平成26年の診療報酬の見直しや地域包括ケア時代の保健医療福祉の参考に取り上げられ、全国的な評価をいただいています。
教育活動では、大学でのポリクリや講義、他大学の非常勤講師(東京医科歯科大学他)や招聘を受けての特別講義、全国の行政や医師会他関係機関の研修会の講師として、ヘルスプロモーションや医療マネジメントに関する教育活動に積極的に取り組んできました。しかし地域包括ケア時代における、生活に戻すための医療マネジメントに関わるこの分野を、大学の一講座として位置づけるにはまだまだ不十分であり、今後全国レベルでの活動や研究の必要性を痛感しています。
愛媛大学病院での13年間、ソーシャルキャピタルの理念から、院内はもとより地域の資源との連携を重視し、生活を重視した医療への取り組みを行ってきました。特に、医療マネジメントに関する分野は、医学教育の中で未だ確立されておらず、研究としてのアカデミックな位置づけもされていません。医療と福祉・介護の連携は、制度面の違いや共通言語の乏しさ等から、地域での一体化には阻害要因が少なくありません。これらを打開するために、「全国国立大学退院支援地域連携部門連絡協議会」の幹事を発足時から現在まで務め、当部門のネットワークの充実や情報交換や共同調査・研究を行い、全国の当部門のレベルアップに取り組んで参りました。またこの協議会を基盤に「医療連携研究会」を立ち上げ、代表世話人として、当部門の研究・調査や活動評価など、アカデミックな面での機能強化屋人材育成に努めてきました。さらに愛媛県内の地域連携の推進、医療連携マネジメント機能の充実のために、「日本医療マネジメント学会愛媛県支部」を立ち上げ、支部長として現在まで6回目の学術総会を開催しました。また「愛媛大学病院地域連携ネットワーク協議会長」として、「地域連携ネットワーク研究会」を開催するなど、調査研究や人材育成など、大学人としてできる努力をして参りました。また住民との連携も、医療を生活資源とするために不可欠であり、医療ボランティアの充実は、着任時からの課題であり、愛媛大学病院医療ボランティア「いきいき会」は概ね15年を経過し約200名余りの会員数となり、「おらが街の病院づくり」をスローガンに多岐にわたる活動が展開されています。
現状把握や今後の取り組みを検討するために、愛媛県ケアマネージャー実態調査研究(愛媛県長寿介護課との共同調査)や在宅医療支援診療所の実態調査研究(在支診四国支部との共同調査)、松山市在宅医療調査(日医・松山市医師会との共同調査)などに取り組み、また日本医師会介護保険委員会委員兼執筆担当(平成23~27年)や長寿医療研究所の特別研究員として、全国レベルでの在宅医療の推進普及に努めてきました。その他研究として、児童虐待に関する研究班長他母子保健の研究班員、健康日本21の中間見直しのメンバーなど国の委員として取り組んで参りました。
医療マネジメントには、広く関係団体と連携することも重要であり、愛媛県医師会はもとより愛媛県歯科医師会・薬剤師会、栄養士会他とはもちろん、愛媛県鍼灸師マッサージ会、愛媛県作業療法士学会、愛媛県接骨師会などの、相談役や顧問などを務め、関係機関間をつなぐ役割の一助を担ってきました。
また、労働衛生コンサルタント資格を活かして、愛媛大学の法人化に伴う安全衛生部門の立ち上げと企画・運営に関わり、その後は愛媛大学安全衛生委員会特別部会長として、愛媛大学及び全国の大学の安全衛生体制の向上や教育体制の構築に関わってきました。特に27年度から導入される「メンタルヘルスチェック」の導入に向けて、うつ病等精神関連疾患の後追い的な対応ではなく、予防に向けた職場環境作りにつながる公衆衛生的な体制づくりの開発に取組みました。なお県内企業(愛媛JA指導医など)の産業衛生活動の支援や日本産業衛生学会(評議員)総会企画運営への参画、また日本産業カウンセラー協会の非常勤講師等を通じて、産業衛生の推進に関わっています。
その他社会貢献の一環として、住民への情報発信は重要な役割であることから、ヘルスアカデミー(高島屋・愛媛CATVの協賛 2008年~現在)の立ち上げや企画運営に関わり、FM愛媛パーソナリティー(1996~現在)・愛媛CATV審査委員長(2009~2012年)として、広く健康福祉情報の提供に取り組んできており、現在もFM愛媛の「Care of Life」は20年の長寿番組として継続しています。
地域包括ケアは地域包括ケア時代といわれ、在宅看取りや医療と介護の連携の推進といった協議の取り組みではなく、保健医療福祉はもちろん地域全体が協働して、超少子高齢社会を切り抜ける重要課題として取り上げられるようになりました。医療も生活資源として位置づけられ、「生活の戻せない医療は無駄な医療」と、国全体での大改革が進んでいます。地域包括ケアは第4の公衆衛生革命(第1感染症、第2 生活習慣病、第3ヘルスプロモーション)と受け止めて、この追い風を受けて今後とも、地域包括ケアを柱とした取り組みにチャレンジしていきたいと思います。2015年度の日本医学会(京都)メインシンポジュームで「地域包括ケア時代の医師の使命」をテーマに講演する機会をいただき、それは私にとって大きな契機となりました。もちろんTMSCや大学病院のこれからもますます気になるところではありましたが、とりあえず大学時代にやりたいと思っていたことが形になったこと、そして還暦を超えたという節目を考慮し、これからの人生をさらに自分らしく生きていくために、後継者に思いを託し、自分の意志を通させていただきました。
2016年1月、四国医療産業研究所の所長(日本医師会総合政策研究機構 客員研究員)として、ギアチェンジを図りました。行政、大学を経緯して第3ステージと言うことになるのでしょうか。ステージは変わりながらも、公衆衛生を学んできたお陰で、大きくぶれさされることなくこれまでやってこれたように思います。「課題解決型」の手段に振り回されがちな日常業務から、「目的達成型」の目的を意識したチーム活動ができたことは、出会えた皆様(多くの個々に名前を記したい方々がいらっしゃいます 私の人生の宝物です)のご指導とご支援の賜だと心から感謝しています。今後もこれまで培った公衆衛生マインド、ヘルスプロモーション理念を基盤に、特にメンタルヘルスを通じた職場づくり、地域包括ケア時代の地域づくりの二本柱をテーマに、『志』(「花燃ゆ」の吉田松陰の言葉にはまりました)を大切に、人々や地域をエンパワメントできるよう 全国レベルで活動を広げて参りました。
2018年1月、愛媛大学病院を早期退職して2年が経過し、精神科病院での臨床、健診センターでの健康管理や産業保健活動等の愛媛での活動、地域包括ケアシステムの普及、保健医療福祉マネジメントや人材育成など全国レベルでの活動等、公衆衛生マインドを大切にして、充実した日々を送っています。地域包括ケア時代が後押しをしてくれ、数々の方々のご支援を受けながら、自分らしい活動ができていることを 心から感謝しております。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。
2016.1.15 櫃本真聿
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最終更新日:2018/01/24