私の経緯
プロフィール・これまでの歩み
2026年、ホームページのリニューアルにあたって
このホームページを立ち上げたのは2016年です。
愛媛大学医学部を早期退職し、四国医療産業研究所を活動の拠点として、新たな一歩を踏み出した時期でした。それから約10年が経過しました。
この間、全国各地の医療・介護・行政・産業保健の現場に関わり、多くの皆様との出会いを重ねてきました。そして現在は、これまでの経験を総括し、次の世代と地域へつなぐ新たな挑戦に向かっています。
今回、約10年間ほとんど変更していなかったこのページを見直し、まず現在の活動とこれから目指していることをお伝えし、その後に、これまでの歩みを振り返る構成へと改めました。
この10年間の歩み
2016年に愛媛大学医学部を早期退職した後は、日本医師会総合政策研究機構、いわゆる日医総研の客員研究員として活動しながら、地元愛媛での医療活動や産業保健活動と、全国各地での講演・研修・地域支援に取り組んできました。
日本医師会では、介護保険や地域包括ケアに関する委員会のアドバイザーを務め、約8年間、4期にわたって委員会報告書の作成にも携わりました。
報告書の執筆や全国各地での活動を通じて、日本の医療・介護制度が大きく変化していく過程を、医師会の皆様とともに学ぶことができました。
私がその中で一貫して掲げてきたのが、
「医療を生活資源へ」
という考え方です。
医療は、病気を治療するだけのものではありません。病気や障害があっても、その人らしく生活し、住み慣れた地域で暮らし続けるための資源でなければならないと考えてきました。
急性期病院で治療を終えることが医療の目的ではなく、患者さんを生活の場へ戻し、その後の暮らしを支えることまでが医療の役割です。
愛媛大学病院で総合診療サポートセンターを立ち上げ、入院前から退院後までを見通した多職種連携と地域連携に取り組んだ経験は、その後の私の活動の大きな基盤となりました。
大学退職後は、そこで培った理念や実践を全国へ伝えるため、滋賀県、三重県をはじめ、全国各地の自治体、医師会、医療機関、介護関係団体などで、アドバイザーや講師として活動しました。
地域包括ケア、在宅医療、退院支援、医療・介護連携、医療マネジメント、人材育成などをテーマに、全国を飛び回る日々を送りました。
多くの現場を訪れ、そこで働く方々と語り合い、地域の課題を一緒に考えた経験は、私にとってかけがえのない財産です。
大学を早期退職し、組織の枠を越えて活動したからこそ出会えた人や、学べたことが数多くあります。振り返れば、早期退職を決断した価値は十分にあったと思っています。
新型コロナがもたらした転換
ところが、新型コロナウイルス感染症の流行により、それまでの活動は大きく変わりました。
全国各地への移動や集合型の研修が難しくなり、全国を飛び回っていた私の活動にも、突然ブレーキがかかりました。
日医総研や日本医師会の地域包括ケア関係の活動も一区切りとなり、全国中心だった仕事は次第に愛媛県内へと軸足を移していきました。
一方で、この変化は、以前から続けてきた産業保健活動を見直し、本格的に発展させる契機にもなりました。
私は以前から、企業における健康づくりや「健康経営」に関心を持っていました。
四国医療産業研究所という名称にも表れているように、医療と産業、健康と経営を結び付けることは、研究所設立当初からの大きなテーマでした。
企業にとって、従業員の健康は単に守るべき対象ではありません。
一人ひとりが心身ともに健康で、自分の力を発揮できることは、組織全体の活力、生産性、創造性、そして持続可能な経営につながります。
医療や産業保健が事業所に関わることによって、働く人の健康だけでなく、職場全体のパフォーマンスを高めていく。医療が企業の経営資源の一つとして役割を果たす。
そのような産業医活動を目指し、県内企業を中心に実践を重ねてきました。
現在、産業保健は私の活動の大きな柱となっています。
「事業所のかかりつけ医」を目指して
私が現在提唱しているのが、
「事業所のかかりつけ医」
という考え方です。
地域に、住民一人ひとりに寄り添う「地域のかかりつけ医」がいるように、事業所にも、働く人と組織の両方に寄り添う医師が必要ではないでしょうか。
従来の産業医活動は、健康診断結果の確認、長時間労働者への面談、休職・復職への対応など、法令に基づく管理業務が中心になりがちでした。
もちろん、これらは重要な役割です。
しかし、問題が起きた後に対応するだけでなく、病気やメンタルヘルス不調を予防し、職場のコミュニケーションや人間関係を整え、働く人の強みが生かされる組織をつくることも産業保健の重要な役割です。
私は、公衆衛生とヘルスプロモーションの考え方を基盤に、個人への支援と職場環境への働きかけを一体的に進める産業保健を目指しています。
医療が一方的に指導するのではなく、働く人や企業が自らの力に気づき、よりよい方向へ進んでいけるよう支援する。
それが、私の大切にしてきた「エンパワメント」の考え方です。
ENクリニックという新たな挑戦
そして現在、これまでの活動の集大成として準備を進めているのが、松山市朝生田に開設を予定している「ENクリニック」です。
ENクリニックでは、地域住民に寄り添う「地域のかかりつけ医」と、働く人や企業に寄り添う「事業所のかかりつけ医」という二つの役割を結び付けたいと考えています。
病気を診断し、薬を処方するだけの医療ではありません。
生活習慣病、心の不調、働き方、家族関係、介護、地域での孤立など、健康に影響を与えるさまざまな課題を、本人とともに考えていく医療です。
必要に応じて、医師、看護師、保健師、心理職、栄養士をはじめ、多様な専門職や地域の関係者が連携します。
地域医療、産業保健、予防、健康づくり、人材育成をつなぐ、地域のハブのようなクリニックを目指しています。
「EN」という名称には、人と人との「縁」、人を支援する「援」、そして人や地域を元気にする「エンパワメント」への思いを込めています。
私は研究者として理論を語るだけではなく、これからも現場に立ち続ける実践者でありたいと思っています。
これまで学び、経験してきたことを次の世代へ伝え、地域や企業とともに新しい医療の形をつくることが、これからの私の使命です。
これまでの歩み
公衆衛生との出会い
私は愛媛大学医学部の第一期生として、1979年に卒業しました。
在学中は地域保健サークルの活動を通じて、地域の健康づくりに関心を持ち、公衆衛生学を志しました。
卒業後、愛媛大学医学部第二内科で循環器診療を学んだ後、公衆衛生学教室に戻り、循環器疾患の疫学研究に取り組みました。
地域脳卒中登録事業に関わったことを契機に、研究成果を地域の健康づくりへ生かしたいと考え、卒後4年目に宇和島保健所へ赴任しました。
保健所では、脳卒中などの疫学研究を続けながら、住民の健康づくり、保健行政、地域活動を現場で学びました。
その後、30歳で愛媛県御荘保健所長に任命され、当時、全国最年少の保健所長となりました。
以後、伊予保健所長、愛媛県庁勤務など、約20年間にわたり行政の分野に身を置くことになりました。
保健所長・行政職として
保健所長時代には、地域の関係者と連携しながら、健康づくり、精神保健、母子保健、成人保健など、幅広い地域保健活動に取り組みました。
全国保健所長会の若手メンバー代表として、保健所のあり方に関する検討や、地域保健法の制定過程にも関わる機会をいただきました。
また、厚生省の委託研究等を通じて、地方分権、成人保健、母子保健をはじめとする多様な研究に参加し、地域連携とマネジメントを実践的に学びました。
この頃に立ち上げた精神障害者支援団体「心の健康を進める会・考える会」は、全国的な精神保健福祉活動のモデルとして評価されました。その後も後継者の皆様によって発展し、現在まで活動が継続されています。
これらの活動を評価していただき、1992年には日本公衆衛生学会奨励賞を、行政職員として全国で初めて受賞しました。
この受賞は、その後の活動を続けていくうえで大きな励みとなりました。
1991年からは、愛媛県庁の保健指導課長として約10年間、保健・医療・福祉行政全般に関わりました。
県内の関係機関との連携に努めるとともに、県と厚生省との橋渡し役として国の施策にも関与し、「健やか親子21」の策定や、保健分野の人材育成にも携わりました。
行政から医療の現場へ
2001年、新たな挑戦を求めて愛媛県を退職し、愛媛県総合保健協会に着任しました。
この時期は、行政での約20年間の経験を振り返りながら、全国各地を訪ねる「自分探し」の時期でもありました。
1年間で47都道府県、約100か所から講演等のご依頼をいただき、全国を回りました。
その経験から、中央の施策だけでは地域の課題は解決できないこと、保健・医療・福祉の連携による地域づくりが不可欠であること、そして医療側が地域づくりへ積極的に参画する必要性を痛感しました。
また、ヘルスプロモーションについて学びを深め、人材育成のための教育手法を開発する大きな契機にもなりました。
2002年8月、愛媛大学病院医療福祉支援センターの副センター長として大学に戻り、医療の立場からの公衆衛生活動を開始しました。
約20年ぶりに戻った大学病院では、「医療の進歩」と同時に、「治療が終わっても生活の場へ戻れない患者さん」という課題を目の当たりにしました。
そこで、「治す医療」と「生活に戻す医療」を両輪として進める必要性を強く感じました。
総合診療サポートセンターの設立
院内外の多くの皆様のご理解とご支援をいただき、2013年、医療福祉支援センターを発展させる形で、総合診療サポートセンターを設立しました。
入院してから退院を考えるのではなく、入院前から患者さんの生活背景や退院後を見据え、多職種が連携して支援する仕組みです。
患者さんを速やかにその人らしい生活へ戻し、病気や入院によって生活を分断させないことを目指しました。
総合診療サポートセンターは、多職種連携、チーム医療、地域連携のプラットフォームとして機能し、全国から多くの視察や講演、執筆の依頼をいただくようになりました。
2013年には、センターの設立を記念して、著書『生活を分断しない医療』を出版しました。
同書で示した考え方は、その後の診療報酬改定や地域包括ケアの方向性とも重なり、多くの関係者に取り上げていただきました。
医療マネジメントと人材育成
大学では、学生への講義や臨床実習に加え、他大学での非常勤講師、全国の行政、医師会、医療・介護関係機関の研修講師として、ヘルスプロモーション、地域包括ケア、医療マネジメント、人材育成に取り組みました。
また、「全国国立大学退院支援・地域連携部門連絡協議会」の設立当初から幹事を務め、全国の大学病院における退院支援・地域連携部門のネットワークづくりや共同研究を進めました。
さらに「医療連携研究会」を立ち上げ、代表世話人として、活動の評価、調査研究、人材育成など、医療連携分野の学術的な基盤づくりに取り組みました。
愛媛県内では、「日本医療マネジメント学会愛媛県支部」を立ち上げ、支部長として学術総会や研修活動を継続してきました。
愛媛大学病院地域連携ネットワーク協議会長としても、地域の医療・介護関係者をつなぎ、調査研究や人材育成を進めました。
また、住民との連携も、医療を生活資源にするために不可欠です。
愛媛大学病院の医療ボランティア「いきいき会」は、「おらが街の病院づくり」を合言葉に、多くの住民の皆様が参加する活動へと発展しました。
地域包括ケアと在宅医療
地域包括ケアや在宅医療の推進に向け、愛媛県のケアマネジャー実態調査、在宅療養支援診療所の実態調査、松山市の在宅医療調査など、行政、医師会、関係団体との共同調査にも取り組みました。
日本医師会の介護保険関係委員会では、委員および報告書の執筆担当として、全国レベルでの在宅医療や医療・介護連携の推進に関わりました。
また、長寿医療研究センターの特別研究員、児童虐待や母子保健に関する研究班、健康日本21の中間評価などにも参画しました。
私は、地域包括ケアを単なる医療と介護の連携ではなく、超少子高齢社会を乗り越えるために、地域全体が協働する仕組みだと考えています。
感染症対策、生活習慣病対策、ヘルスプロモーションに続く「第4の公衆衛生革命」と捉え、普及と実践に取り組んできました。
2015年には、日本医学会総会のメインシンポジウムで「地域包括ケア時代の医師の使命」をテーマに講演する機会をいただきました。
この経験は、それまでの大学での活動を一つの形として整理し、次のステージへ進む大きな契機となりました。
産業保健への取り組み
労働衛生コンサルタントの資格を生かし、愛媛大学の法人化に伴う安全衛生部門の立ち上げや運営にも関わりました。
その後は、愛媛大学安全衛生委員会特別部会長として、大学の安全衛生体制の整備や、全国の大学における教育・支援体制の向上に取り組みました。
ストレスチェック制度の導入に際しては、精神疾患が発生してから対応するのではなく、職場環境を改善し、メンタルヘルス不調を予防する公衆衛生的な仕組みづくりを重視しました。
県内企業の産業医活動、日本産業衛生学会、日本産業カウンセラー協会などでの活動を通じ、産業保健の普及と人材育成にも関わってきました。
この経験が、現在の「事業所のかかりつけ医」という考え方へとつながっています。
情報発信と社会貢献
住民への情報発信も、医師の重要な社会的役割だと考えています。
高島屋や愛媛CATVのご協力による「ヘルスアカデミー」の立ち上げや運営に関わったほか、FM愛媛の番組を通して、長年にわたり健康・医療・福祉に関する情報を発信してきました。
講演、ラジオ、テレビ、書籍、ブログ、そして近年ではYouTubeなど、時代に合わせて方法を変えながら、専門的な内容を住民の皆様に分かりやすく伝えることを大切にしています。
変わらない公衆衛生マインド
行政、大学、地域医療、産業保健と、活動する場所は変化してきました。
しかし、私が大切にしてきたものは変わっていません。
それは、公衆衛生マインドとヘルスプロモーションの理念です。
目の前の問題を処理する「課題解決型」の発想だけでなく、何のために活動するのかを考える「目的達成型」の発想を大切にすること。
人や地域、組織が本来持っている力を引き出すこと。
そして、医療を専門家だけのものにせず、人々の生活を支える身近な資源にしていくことです。
多くの皆様との出会い、ご指導、ご支援があったからこそ、これまで活動を続けることができました。
一人ひとりのお名前を記したいほど、多くの方々とのご縁は、私にとって人生の宝物です。
これからも「志」を大切に、地域と企業、医療と暮らし、人と人をつなぎながら、実践を続けてまいります。
医療を生活資源へ。
そして、医療を地域と企業の活力へ。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
2026年
櫃本真聿
※参考資料 2016年作成分
愛媛大学医学部の第一期生として、1979年卒業して以来30数年余り、これまで一貫して公衆衛生マインドを大切に保健医療福祉各分野及び地域づくりに取り組んでまいりました。在学時代の地域保健サークル活動を通じて、地域の健康づくりの分野に関心を持ち、公衆衛生学(木村教授・高橋助教授)を志しました。そのため卒後愛媛大学の2内科(国府教授)で循環器の臨床を学んだ後公衆衛生に戻り、主に循環器の疫学研究に着手しました。そこで地域脳卒中登録事業に関わることになり、それを全国に普及させることを目的に、卒後4年目に宇和島保健所に着任し、地域に根付いた脳卒中等の疫学研究に取り組みながら、健康づくり活動や保健行政を学びました。その後大学に戻るはずが、30才の若輩でありましたが愛媛県御荘保健所長に(全国で最年少所長)任命され、伊予保健所長、愛媛県庁等それ以後約20年間にわたって、行政の分野に身を置くことになりました。
この間、現場の活動が評価され、全国保健所長会の若手メンバー代表に選出しいていただき、保健所あり方委員会や地域保健法の制定にも関与させていただきました。また厚生省委託研究の委員として、地方分権や成人・母子保健その他健康関連の他分野の研究に取組む機会をいただきました。この時期の実体験を通して地域連携やマネジメントを学ぶことができました。この頃発足させた精神障害者の支援団体「心の健康を進める会・考える会」は、全国の精神保健福祉モデルとして評価され、後継者の皆さんがさらに発展させ、現在も全国で高い評価を受けながら活発な活動を続けています。これら保健所長時代の活動が評価されて、草野先生(当時全国保健所長会副会長)のご推薦を頂き、平成4年10月に「日本公衆衛生学会奨励賞」を行政職員として全国第一号をいただいたことは、その後の大きな励みとなりました。
平成3年からは愛媛県庁の保健指導課長(現健康増進課長)として約10年間、保健及び医療福祉行政全般にわたって実態を把握し、行政や保健医療福祉関連機関との連携に努め、行政としてのマネジメントを学びました。また県と厚生省のパイプ役として、国策の企画運営にも関与させていただき、特に「健やか親子21」の策定や、保健分野の人材養成に国の講師として参画することができました。
新たなチャレンジを求めて2001年に思い切って県を退職し(2月に思いついて3月末で退職 突然すぎて皆さんにご迷惑をおかけしました)、愛媛県総合保健協会に着任してからは、保健行政約20年間の経験を活かして全国行脚の自分探し、1年間で全国47都道府県約100カ所からの依頼を受けて精力的に講演して回りました。中央施策主導による限界と、地域の保健・医療・福祉の連携による健康づくり・地域づくりの重要性を認識し、特に医療の立場からの積極的な参画の必要を痛感した。この経験は、ヘルスプロモーションについての学習を深め、あわせて人材育成の教育手法の開発につながった成果は大きかったと思います。
2002年8月、本大学病院の医療福祉支援センターの副センター長として迎えていただき、このようなモチベーションを背景に、今度は医療の場からの公衆衛生活動を開始しました。20年ぶりの大学病院は、「医療の進歩」と「退院できない患者」という二面性が見られ、「治す医療」と「生活に戻す医療」の両輪の必要性が顕著化していました。当センターの10周年誌にも記載しましたが、多くの院内外の方々にご理解ご支援いただき、時代の流れも後押しして、特に生活に戻すための医療を強化するために、2013年の総合診療サポートセンター(TMSC)設立に至ることができました。TMSCが本格稼働して2年余りまだ発展途上ですが、入院前から多職種連携・チーム医療及び地域連携のプラットホームとして活用され、その人らしい生活に速やかに戻し生活を途切れさせないことを目途とした急性期医療の役割を徐々に実践してきていると思います。その一端として総合調整・退院調整・口腔ケア他各種加算や各種カンファレンス開催が飛躍的に伸びてきています。全国からの視察見学や講演や執筆依頼も激増しており、ありがたいことではありますが、スタッフはその対応に奮闘しています。TMSCの取り組みは、地域包括ケア時代の急性期病院のあり方を示す全国のモデルとして期待されており、さらに当部門の機能強化や地域・住民の理解促進を図るとともに、特に研究分野の充実など期待されるとことです。なお、2013年に医療福祉支援センターを発展的廃止によりTMSCを立ち上げることを祈念して、著書「生活を分断しない医療」(ライフ出版)を出版しましたが、平成26年の診療報酬の見直しや地域包括ケア時代の保健医療福祉の参考に取り上げられ、全国的な評価をいただいています。
教育活動では、大学でのポリクリや講義、他大学の非常勤講師(東京医科歯科大学他)や招聘を受けての特別講義、全国の行政や医師会他関係機関の研修会の講師として、ヘルスプロモーションや医療マネジメントに関する教育活動に積極的に取り組んできました。しかし地域包括ケア時代における、生活に戻すための医療マネジメントに関わるこの分野を、大学の一講座として位置づけるにはまだまだ不十分であり、今後全国レベルでの活動や研究の必要性を痛感しています。
愛媛大学病院での13年間、ソーシャルキャピタルの理念から、院内はもとより地域の資源との連携を重視し、生活を重視した医療への取り組みを行ってきました。特に、医療マネジメントに関する分野は、医学教育の中で未だ確立されておらず、研究としてのアカデミックな位置づけもされていません。医療と福祉・介護の連携は、制度面の違いや共通言語の乏しさ等から、地域での一体化には阻害要因が少なくありません。これらを打開するために、「全国国立大学退院支援地域連携部門連絡協議会」の幹事を発足時から現在まで務め、当部門のネットワークの充実や情報交換や共同調査・研究を行い、全国の当部門のレベルアップに取り組んで参りました。またこの協議会を基盤に「医療連携研究会」を立ち上げ、代表世話人として、当部門の研究・調査や活動評価など、アカデミックな面での機能強化屋人材育成に努めてきました。さらに愛媛県内の地域連携の推進、医療連携マネジメント機能の充実のために、「日本医療マネジメント学会愛媛県支部」を立ち上げ、支部長として現在まで6回目の学術総会を開催しました。また「愛媛大学病院地域連携ネットワーク協議会長」として、「地域連携ネットワーク研究会」を開催するなど、調査研究や人材育成など、大学人としてできる努力をして参りました。また住民との連携も、医療を生活資源とするために不可欠であり、医療ボランティアの充実は、着任時からの課題であり、愛媛大学病院医療ボランティア「いきいき会」は概ね15年を経過し約200名余りの会員数となり、「おらが街の病院づくり」をスローガンに多岐にわたる活動が展開されています。
現状把握や今後の取り組みを検討するために、愛媛県ケアマネージャー実態調査研究(愛媛県長寿介護課との共同調査)や在宅医療支援診療所の実態調査研究(在支診四国支部との共同調査)、松山市在宅医療調査(日医・松山市医師会との共同調査)などに取り組み、また日本医師会介護保険委員会委員兼執筆担当(平成23~27年)や長寿医療研究所の特別研究員として、全国レベルでの在宅医療の推進普及に努めてきました。その他研究として、児童虐待に関する研究班長他母子保健の研究班員、健康日本21の中間見直しのメンバーなど国の委員として取り組んで参りました。
医療マネジメントには、広く関係団体と連携することも重要であり、愛媛県医師会はもとより愛媛県歯科医師会・薬剤師会、栄養士会他とはもちろん、愛媛県鍼灸師マッサージ会、愛媛県作業療法士学会、愛媛県接骨師会などの、相談役や顧問などを務め、関係機関間をつなぐ役割の一助を担ってきました。
また、労働衛生コンサルタント資格を活かして、愛媛大学の法人化に伴う安全衛生部門の立ち上げと企画・運営に関わり、その後は愛媛大学安全衛生委員会特別部会長として、愛媛大学及び全国の大学の安全衛生体制の向上や教育体制の構築に関わってきました。特に27年度から導入される「メンタルヘルスチェック」の導入に向けて、うつ病等精神関連疾患の後追い的な対応ではなく、予防に向けた職場環境作りにつながる公衆衛生的な体制づくりの開発に取組みました。なお県内企業(愛媛JA指導医など)の産業衛生活動の支援や日本産業衛生学会(評議員)総会企画運営への参画、また日本産業カウンセラー協会の非常勤講師等を通じて、産業衛生の推進に関わっています。
その他社会貢献の一環として、住民への情報発信は重要な役割であることから、ヘルスアカデミー(高島屋・愛媛CATVの協賛 2008年~現在)の立ち上げや企画運営に関わり、FM愛媛パーソナリティー(1996~現在)・愛媛CATV審査委員長(2009~2012年)として、広く健康福祉情報の提供に取り組んできており、現在もFM愛媛の「Care of Life」は20年の長寿番組として継続しています。
地域包括ケアは地域包括ケア時代といわれ、在宅看取りや医療と介護の連携の推進といった協議の取り組みではなく、保健医療福祉はもちろん地域全体が協働して、超少子高齢社会を切り抜ける重要課題として取り上げられるようになりました。医療も生活資源として位置づけられ、「生活の戻せない医療は無駄な医療」と、国全体での大改革が進んでいます。地域包括ケアは第4の公衆衛生革命(第1感染症、第2 生活習慣病、第3ヘルスプロモーション)と受け止めて、この追い風を受けて今後とも、地域包括ケアを柱とした取り組みにチャレンジしていきたいと思います。2015年度の日本医学会(京都)メインシンポジュームで「地域包括ケア時代の医師の使命」をテーマに講演する機会をいただき、それは私にとって大きな契機となりました。もちろんTMSCや大学病院のこれからもますます気になるところではありましたが、とりあえず大学時代にやりたいと思っていたことが形になったこと、そして還暦を超えたという節目を考慮し、これからの人生をさらに自分らしく生きていくために、後継者に思いを託し、自分の意志を通させていただきました。
2016年1月、四国医療産業研究所の所長(日本医師会総合政策研究機構 客員研究員)として、ギアチェンジを図りました。行政、大学を経緯して第3ステージと言うことになるのでしょうか。ステージは変わりながらも、公衆衛生を学んできたお陰で、大きくぶれさされることなくこれまでやってこれたように思います。「課題解決型」の手段に振り回されがちな日常業務から、「目的達成型」の目的を意識したチーム活動ができたことは、出会えた皆様(多くの個々に名前を記したい方々がいらっしゃいます 私の人生の宝物です)のご指導とご支援の賜だと心から感謝しています。今後もこれまで培った公衆衛生マインド、ヘルスプロモーション理念を基盤に、特にメンタルヘルスを通じた職場づくり、地域包括ケア時代の地域づくりの二本柱をテーマに、『志』(「花燃ゆ」の吉田松陰の言葉にはまりました)を大切に、人々や地域をエンパワメントできるよう 全国レベルで活動を広げて参りました。
2018年1月、愛媛大学病院を早期退職して2年が経過し、精神科病院での臨床、健診センターでの健康管理や産業保健活動等の愛媛での活動、地域包括ケアシステムの普及、保健医療福祉マネジメントや人材育成など全国レベルでの活動等、公衆衛生マインドを大切にして、充実した日々を送っています。地域包括ケア時代が後押しをしてくれ、数々の方々のご支援を受けながら、自分らしい活動ができていることを 心から感謝しております。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。
2016.1.15 櫃本真聿
公開日:
最終更新日:2026/08/04