産業医の実際④ ~THE 三越~
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三越の産業医をもう20年になりましょうか・・・長く続けています。
私が産業医を引き受けた当時は、従業員数は200名程度居たように思います。デパート業界の厳しい状況を背景に、小売業中心から、三越という場所を提供するいわゆるビル管理業へと、コロナ禍に思い切って切り替えました。今は50名程度に減り、産業医の選任義務のきりきりの規模になりました.
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常勤の産業保健師は、今は非常勤ですが、元々三越の常勤保健師であり、当時私を勧誘してくれた石丸美喜江保健師が、三越の非常勤保健師として返り咲いて、一緒に活動してくれています。三越のことを熟知されており、産業カウンセラーとしても活躍中の石丸さん。マネジメント力に長けたベテランの味を、三越との信頼関係のもと、しっかりと発揮してくれています。産業医としての訪問は、月に2回程度のペースですが、石丸保健師のお陰で、何とか責務を果たせていると思います。活動内容は、安全衛生委員会、巡回パトロール、各種面談や、幹部職員との相談、研修など様々です。お陰様で、スタッフとも長い付き合いになり、信頼関係も構築することができ、微力ながら健康経営の推進に関われることを幸せに思います。
愛媛県、特に松山県民にとっては “THE 三越”であり、三越の存在は絶対的です。三越創立350年、そして松山三越は77年・・・ 松山市民として、従来のデパートイメージから大転換した、今後デパートの在り方を指し示すかのような「チャレンジ」に、そして少数精鋭で立ち向かっている三越マン・ウーマン達へ、産業保健の分野から支援できることに、やりがいを感じています。
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ようやく懇親会も復活しました。産業医活動が企業に受け入れられ、共に楽しみながら活動できることは、まさにフリーランス産業医の醍醐味ですね。