産業医活動を振り返って

「病気を見る」だけでは見えてこないもの
私はこれまで、産業医としてさまざまな企業や事業所に関わり、多くの働く人たちとお話をしてきました。
健康診断の事後措置、長時間労働への対応、復職支援、身体疾患を抱えながら働く人への就業上の配慮など、産業医の仕事は実に多岐にわたります。
その中で、近年とりわけ増えていると感じるのが、メンタルヘルスに関する相談です。
適応障害やうつ状態、不安、不眠といった症状が前面に出ている人もいれば、診断名がつくほどではないけれど、「職場に行くのがつらい」「上司との関係に悩んでいる」「仕事に自信が持てない」「このまま働き続けていいのだろうか」と立ち止まっている人もいます。
そして、一人ひとりと話をしていると、単純に「病気だから休ませればいい」「症状が改善したから復職すればいい」という話ではないことを、改めて感じます。
その人がどのような仕事をしているのか。
職場でどのような人間関係の中にいるのか。
仕事にどのような意味を感じているのか。
家庭ではどのような生活をしているのか。
そして、その人自身がこれからどう生き、どう働きたいと思っているのか。
そこまで見なければ、本当の意味での支援にはなかなかつながりません。
メンタル不調は「本人だけの問題」ではない
メンタルヘルスの相談を受けていて、私が非常に大切だと思っていることがあります。
それは、本人だけを見ていてはいけないということです。
もちろん、治療が必要な状態であれば、医療につなぐことが必要です。休養が必要な人には、しっかり休んでもらわなければなりません。
しかし一方で、その人が不調になった背景に、仕事の量や内容、配置、人間関係、上司とのコミュニケーション、本人の役割と能力とのミスマッチなどが存在することも少なくありません。
本人を治療して職場に戻しても、環境が何も変わっていなければ、同じことが繰り返される可能性があります。
だからこそ産業保健では、
「この人をどうするか」だけではなく、「この人が働いている環境をどう整えるか」
という視点が欠かせません。
私はここに、臨床医とは少し違う「産業医」という仕事の大きな意味があると思っています。
正解を出すのではなく、一緒に考える
産業医面談では、判断を求められる場面がたくさんあります。
「休ませるべきでしょうか」
「復職させて大丈夫でしょうか」
「残業を認めてもいいでしょうか」
「配置転換した方がいいでしょうか」
会社からは、明確な答えを期待されることもあります。
しかし実際の現場では、医学だけで白黒をつけられる問題はそれほど多くありません。
本人の思いと会社の事情が一致しないこともあります。主治医の意見と職場で実際に見えている姿が異なることもあります。
だから私は、産業医の役割は単に「就業可」「就業不可」と判定することではないと思っています。
本人、会社、人事担当者、上司、産業保健師、そして必要に応じて主治医。
それぞれが持っている情報をつなぎながら、
「この人がもう一度、自分の力を発揮できるためには何が必要なのか」
を一緒に考えていく。
それが産業医活動の本質ではないかと、最近ますます感じています。
産業保健師の存在はますます重要になる
そして、こうした活動を産業医一人で行うことはできません。
私自身、これまで多くの事例で産業保健師の皆さんと相談しながら対応してきました。
日頃から職員と接し、小さな変化に気づき、話を聞き、必要な時に産業医につないでくれる。
面談が終わった後も、その人の職場での様子を見守り、会社側との調整を続けてくれる。
こうした継続的な関わりは非常に大きな力になります。
産業医が「点」で関わるとすれば、産業保健師はその点と点を「線」にしてくれる存在とも言えるでしょう。
これからメンタルヘルスの問題がさらに複雑になっていく中で、産業医と産業保健師、そして人事・労務担当者が一つのチームとして動けるかどうかは、ますます重要になってくると思います。
「休ませる産業保健」から「働く力を支える産業保健」へ
もちろん、休むことが必要な時はあります。
しかし、産業保健の目的は「休ませること」でも「復職させること」でもありません。
私が大切にしたいのは、
その人が本来持っている力を、もう一度発揮できるようにすること。
そのために本人自身にも、自分の状態を知り、自分の生活を整え、必要な時には周囲に助けを求める力を身につけてもらいたい。
つまり、セルフケアの力を高めることです。
そして会社には、その力を発揮できる環境を整えてもらう。
本人を変えるだけでもなく、会社だけを変えるのでもない。
人と環境の両方に働きかける。
これこそ、これからの産業保健に求められる大切な視点ではないでしょうか。
これからの産業医活動に必要なもの
働き方は大きく変わっています。
価値観も多様化し、仕事に求めるものも人によって違います。人手不足、管理職の負担、ハラスメントへの意識、介護や育児との両立、治療と仕事の両立など、職場が抱える課題も複雑になっています。
これからは、病気になった人に対応するだけの産業保健では十分ではないでしょう。
不調になる前から相談できること。
困った時に早く誰かにつながれること。
そして、働く人自身が自分の健康や働き方を考える力を持てること。
私は、産業保健をもっと**「身近な資源」**にしていく必要があると思っています。
AIをはじめとした新しい技術も、そのための大きな力になるでしょう。
一方で、どれだけ技術が進歩しても、最後に大切なのは、目の前の人の話を聞き、その人が何に困り、何を大切にしているのかを一緒に考えることだと思います。
産業保健と地域医療をつなげたい
現在、私は新しいクリニックの開設に向けた準備を進めています。
ENクリニックで目指していることの一つも、これまでの産業医活動と深くつながっています。
職場で悩んでいる人が、必要な時には医療につながれる。
治療を受けている人が、職場との関係を切ることなく復職を目指せる。
そして、復職した後も再び不調になることを防ぎながら、その人らしく働き続けられる。
「職場」と「医療」と「生活」を切り離さずにつなぐ。
そんな仕組みを地域の中につくっていきたいと考えています。
クリニックが病気を治す場所だけではなく、企業や産業保健スタッフともつながりながら、働く人たちのセルフケアやWell-beingを支える地域資源になれればと思っています。
それは、これまで私が産業医として多くの人たちと関わる中で感じてきた課題に対する、一つの答えでもあります。
一つひとつの事例から学ぶ
産業医活動を振り返ってみると、同じ事例は一つとしてありません。
うまくいったケースもあります。
もっと早く介入できればよかったと思うケースもあります。
本人と会社の双方が納得できるところになかなかたどり着けなかったケースもあります。
しかし、その一つひとつから私自身も多くのことを教えてもらいました。
このブログではこれから、もちろん個人や企業が特定されないよう十分に配慮しながら、私が実際の産業保健活動の中で経験してきたさまざまな事例も紹介していきたいと思っています。
そこで何が起きていたのか。
本人は何に困っていたのか。
会社は何に悩んでいたのか。
産業医や産業保健師は何を考え、どのように関わったのか。
そして、その経験から何を学ぶことができるのか。
一つひとつ皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
産業保健には、必ずしも一つの正解があるわけではありません。
だからこそ、「その人が本来持っている力を発揮できるよう、縁と環境を整える」。
これからも、そんな産業医活動を続けていきたいと思っています。